

いぶきがくまのぬいぐるみをギュッと抱き締めて、くまの顔を笑顔で覗きながら背中をポンポンとたたく。
母親からの愛情は、こうやって身体に刻まれ、受けた愛情は与える愛情へと変わっていくんだろう。
今日は家族で名古屋へ向かいました。
旦那の友人のお見舞いに。
何度も抗がん剤治療をし、命と向き合ってきた人が、また病状がひどくなったと聞いて。
病室の扉を開くまでは、どんな顔で何を話せばいいのかと考えてました。
でも、扉を開ければ笑顔で迎えてくれる彼に、もの凄く強くしぶとい生命力を見せてもらいました。
医者にも病状がわからず、酷くなっていく自分自身に「もうだめだ」と感じたとも聞きました。今までたくさん手術をしてきた人が、今回は本当にヤバいと。。
でも、最近また食事が取れるまでに回復し、看護婦さんたちも驚いているそうです。
こんな所でいってたまるか!という彼の「生きたい!」と望む姿に、ただ感動しました。
色々と挑戦していこう!と旦那が話す姿を見て、私は生きることを本当の意味で知らなかったように思いました。
明るく生きるとか、楽しく生きるとか、、どう生きるかと向き合ったことはあるけれど、ただ「生きる」ことに向き合って生きてこれただろうか。
何があっても「生きる」という、決意がかっこよくて、美しくて。
何が在るとか無いとか、そんなことじゃなくて。
生きることに真っ直ぐ、生きたことがあるだろうか。
言葉に出来ないなんとも言えない感覚が、私の魂にまでガツンと届いた感じです。
命をもって、命を教えてくれてます。
生きることを信じるって本当に大切。
彼の強い意思が、細胞を目覚めさせ、また生きるための準備を整えてくれてる感じです。
話せなかった人が、たくさん話せるようになったし、また食べられるようになったなんて、信じるしかないでしょ。
旦那がいつも言ってる「命はやわじゃない」って言葉や「命のしぶとさ」を信じよう!
そう思って病室を出た私の方が元気をもらっていました。
最初は酸素を送らなければ呼吸が出来ない彼を見て、自分が何も出来ないと無力さを感じましたが、生きようと自分自身を震い立たせる彼を目の前に、やっぱり人間の力は無限大だ!とまで思考を変えられました。
大丈夫。
命の主導権は自分にある。
そう信じたい。
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